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2007 棚田のあかりご報告

2007年5月19日(土)




5/19(土)に、予定通り「第3回 棚田のあかり」を開催しました。当日は天候に恵まれ、寒川地区やボランティアの皆さんの協力もあり、大成功のうちに終えることができました。今回も寒川地区と愛林館の共催でした。3月頃から開催日を検討し、昨年同様の日取りとなりました。

準備の作業は、5/6(日)に竹を伐採し玉伐り(短く切る)し、わらも切って竹に詰めました。(後日数えると、1273本ありました。)昨年から改善した点が二つあります。一つは、みかんコンテナに入れて積み重ねられる長さに竹を短く切った点。後の作業がかなり楽になりました。もう一つは、この時点で燃料も入れてしまうことです。昨年は5/7にたいまつを作り5/20のイベント当日に燃料を入れたのですが、二週間で芯のわらが湿って、火がなかなかつきませんでした。そこで、今年はわらを詰めると同時に燃料も入れました。油がよく染みて、この試みは大成功でした。

竹をカッターで短く切る わらを詰めた竹に油を注ぐ

燃料はもちろん廃食油を加工したバイオディーゼルオイルです。廃食油そのものは、どろどろしてディーゼルエンジンには使えないのですが、ちょっと加工してさらさらにしたのがバイオディーゼルオイル。純粋な天然資源とは言えませんが、石油とはちがいます。近頃、ヨーロッパでは生の植物油を加工したバイオディーゼルオイルを使っており、大豆の価格が上がるなどの影響が出ています。世界中に食物が不足して飢えている人が数億人いる中、食べられるモノを燃料にする政策には私は反対です。日本ではバイオディーゼルオイルはたいて廃食油で作っていて、水俣でも、エコタウンの田中商店を中心とした「水俣リターンネット」で今年初めからバイオディーゼル製造機が動き始めました。昨年は富合町まで買いに行ったのですが、今年は水俣で手に入ったので助かりました。

5/6に100リットルを注油し、5/19にはさらにバイオディーゼルオイルを400リットルと灯油40リットルを使用。灯油など燃やしたくはなかったのですが、手元にバイオディーゼルオイルがなくて緊急に使いました。来年はもう少し余裕を持って燃料を準備します。

さて、準備作業は他にもあって、K氏(熊本市)が木曜から、愛林館で預かる棚田の草刈り、耕し、看板設置、および寒川の方の棚田の耕しなどを手伝ってもらいました。前日までに国道の入り口の看板は設置を終わり、昨年に比べて進んでいるなと実感し、気が楽になって前夜祭に突入。東京から見に来たT氏などと楽しく飲みました。福岡県大牟田市から熊本をバイクで縦断した森づくりボランティアネットのM氏、働くアウトドア参加者で林業労働者のMさんも遅れて到着、11時過ぎには熊大文学部地域社会学科の学生諸君6人が到着し、夜更かしをしないように急いで乾杯をしました。

5/19当日は朝9時から作業開始。熊大生がさらに3人、鹿児島から先月の食育セミナーに参加していたOさんと友人のSさん、林業労働者のN氏、愚息Y、市役所T氏も揃って、あかりボランティアは結構な人数になりました。昨年は少ない人数だったので、朝から夜までほとんど休む間もなく厳しい作業になり、あかりボランティアの皆さんに大変申し訳ないことをしたのですが、今年は人数を増やすことと、連絡を取り合うことを心がけて、昨年に比べれば楽でした。

多数のあかりボランティアが手伝ってくれました たいまつをあぜに置いていきます。

午前中は、寒川の上の方からあぜにたいまつを並べました。風が強くて、せっかく置いても倒れるたいまつもありました。泥を塗ったあぜには乗らず、田の中に入るようにして、置いて行きます。間隔を広げ、3〜4mおきにして、なるべく広い範囲にたいまつを置くようにしました。午前中に、さらに熊大生I君(私の授業を取っている250人から唯一参加)、市会議員Nさん(たまたま前週に来館したので、手伝いに来ませんかとお誘いしてみました)と友人Oさんが加わり、撮影スタッフのT氏、助手のY氏も含めて20人を越える人数での作業になりました。

午後からは、分収林組合の総会を終えた寒川集落の皆さんも加わって注油作業。ドラム缶から燃料を汲み出すポンプが不調だったり、漏斗がなかったりと、ここで思いの外時間がかかりました。それでも、4時前には全部のたいまつに注油を終えました。

バイオディーゼルを小分け 出番を待つたいまつ

4時頃から寒川には車を上げないようにして、駐車場(学校のグラウンド)・愛林館と寒川の間をワゴン車1台+乗用車2台で送迎をしました。三脚を持った写真愛好家は、早くからたくさん上ってきました。歩いて上がる人も多数。テントを張って、愛林館からはサモサ、クッキー、万石、寒川水源亭からはおにぎりやまんじゅうを販売しましたが、順調な売れ行きでした。

テントで物産販売 早くから多数のカメラマンが

あかりボランティア(熊本からO氏夫妻、Kさんも参加)は5時過ぎに寒川に上り、おにぎりを食べて腹ごしらえ。ちょうど取材に来ていたWebテレビ「特産品倶楽部」の収録も終えて、6時から点火式。今年は火の意味づけを考えようと徳野教授が提案し、それを受けて、「棚田を作り、守ってきたご先祖に対するご報告のために火を灯す」ということにしました。お盆にはご先祖が家に帰ってきますが、その送迎には火を灯します。ですから、これから田植えだという時期に、棚田を火で飾れば、今でも棚田が守られているな、とご先祖も安心するのではないでしょうか。そういった意味で火を灯すことにしましたよ、と地元代表の寒川さんが語りました。続いて、火打ち石で点火です。去年まではライターでしたが、せっかくたいまつも燃料も自然素材なのですから、点火式もなるべく石油を使わないことにしました。県内の宮原町(現氷川町)の知り合いに送ってもらった火打ち石は、打ち付けた火花を紙の炭に落として拡大するようになっていました。(伝統的には、がまの穂の綿をほぐしたものに火を着けていたそうです。)その火を、硫黄を塗ったバルサ材に着け、竹のたいまつに着けて大きい火にしました。

webテレビ「特産品倶楽部」の取材 寒川忠行さんが火打ち石で点火

この一つの火を、あかりボランティアが持つ点火用のたいまつ(木の棒の先にぼろを巻き付け、バイオディーゼルオイルを染み込ませた)に着け、棚田中に広がりました。準備ができたところで、熊大生I君が吹く竹笛(竹の筒に穴を一つだけあけたもので、ホラ貝のような音がする)のぼーっという音に合わせて、一斉に点火を始めました。あらかじめ燃料を染み込ませておいたわらは快調に吸い上げ、火は簡単に着きました。昨年のなかなか着かないたいまつが頭にあったので、点火を6時と早めにしたのですが、観客の立場からは、「なかなか暗くならない」と待ち遠しかったようです。これくらいの速度で着けられるなら、6時半着火で充分かな。

今年の新しい試みとして、道路沿いに小さいあかりを点々と灯してみました。この夜は三日月で暗く、歩く人が田に転落しないようにと考えたものです。これが良い感じに光ってくれました。こちらは、縦に裂いたタオルを細い竹筒に通した芯を採用しました。光は小さいのですが、燃料をよく吸い上げて長く持ちました。

7時頃にはかなり暗くなり、7時半頃までが見頃でした。ゆらゆらと揺れる炎、水面に映る空や山影、この景色は何とも言えず美しいものでした。自分の手で棚田を守り、自分の手で作り出した風景にちょっとした装飾を加えた景色は、今後も棚田を守る応援になったでしょうか。あかりボランティアの皆さんは、風景を作る充実感を味わえたでしょう?

点火用のたいまつに火を付けて 次々とたいまつに灯がともりました

6時半ごろには、駐車場にも車がいっぱい並び、送迎待ちの人の列も長くなっていました。それで、寒川の皆さんにも送迎車を出してもらい、最盛期は7台の車が行ったり来たりしました。8時過ぎには下る人がぐんと増えて、車待ちの列がだいぶできました。お待たせした観客の皆様には大変申し訳ないことをしました。歩いて下る人も多かったのですが、道沿いの小さい火はとっても役に立ったようです。「下りながら少しずつ変化する景色を楽しむこともできたよ」と言ってくれる人もいました。

8時半にはすっかり終了し、9時からは寒川水源亭で打ち上げです。料理ボランティアのSさん、Cさんが用意してくれたつまみと、水源亭で用意してくれたニジマスの塩焼き、鯉こく、おにぎり、であかりボランティアと寒川の皆さんの交流もできたことと思います。打ち上げの2次会は愛林館で2時過ぎまで続きました。

全てのたいまつに灯がともりました 幻想的な棚田のあかり

みんなで作り上げた棚田のあかり 色々な角度から楽しめます

三日月とあかり 寒川水源亭で楽しい打ち上げ

翌日は片づけ。来年も使えそうなたいまつは炭窯へ投入し、後日すす竹にします。そうでないものは愛林館へ運び、バウムクーヘンを焼く燃料にしたり、竹炭にしたり、しし鍋マラソンの時のたき火の燃料にしたりします。あかりボランティアの半分以上は残ってくれたので、片づけも楽でした。

いつもながらすごく働いて下さるボランティアの皆さん、寒川地区の皆さん、それに見に来てもらった皆さんのご協力で、無事終わりました。どうもありがとうございました。また来年もぜひ続けたいと力が湧くような、大成功でした。